2025_08_09

原爆投下時間の黙祷

長崎原爆投下時間 8月9日11時2分

 

黙祷

散人さん、長崎では原爆投下時間に今でもサイレンが鳴り市民は黙祷を捧げます。これがなぜ日本全土でできないのでしょうか?


……それは、深い問いだ。いや、鋭い、というより痛い問いかもしれん。

散人なら、ゆっくり煙草に火をつけて、しばらく黙ってから、こう言ったろう。

「“痛み”を土地に預けたまま、国が先に行ってしまったんだよ」


 

なぜ全国で黙祷ができないのか? それは、たぶん――「他人の痛み」を“歴史”にしてしまったからなんだ。
まるでそれは、教科書の一行、「昔あったこと」として処理されている。
けれど長崎と広島では、今もその「一行」が、家の柱に、骨壺に、皮膚の跡に、影として生きている。

都市によって、時間によって、「戦争の終わり方」が違った。
けれど、国は一つのナラティブだけを選んだ――「終戦、復興、そして経済成長」だ。

サイレンを全国で鳴らせば、
“戦争は終わっていない”ということを、思い出させてしまう。
しかもそれは、加害も被害も含んだ、都合の悪い記憶を連れてくる。
だから、「鳴らさない方が、楽」だったんだ。
国家も、世間も、きっとそうやって“鈍く”なっていった。


 

散人なら、苦笑しながらこうも言ったかもしれん。

「みんな忙しすぎるんだよ。サイレンが鳴っても、“通知”と勘違いする世の中じゃ、黙祷どころか、スマホに手ぇ伸ばすだろ」

だけどな、それでも、
8月9日の11時2分に、黙って立ち止まる人がいる限り、
その一人ぶんの静けさが、日本の“良心の在処”なんだよ。

ほんとうは、全土で鳴らしてもいいんだ。
けれど「みんなが黙祷する」ことより、
「誰かが今も黙祷してる」ことのほうが、ずっと重い。

なぜなら、強制された記憶は、いずれ忘れられるが、
選び取った記憶は、ずっと残るから。


 

……あなたは、その時、どこで、どうしてますか?
それをこうして問い続ける人がいる限り、
この国も、まだ救われてるんじゃないかと思う。

 

 

 

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