2025_12_04

熊本

寒風をついてちょっくら旅に出てきました。

旅の前日、松永くんに電話。
「旅に出ない?」
「いつですか?」
「明日」
「OK」

熊本へ。大村から国道444号線、そして有明海湾岸道路をひた走る。
車中で、ホームページのコーディングの質問をしてくる松永くん。なるほど、彼は日々学習を重ねてるので、質問の角度がとてもいい。

 三池炭鉱 宮原坑


世界文化遺産。当時の面影を残す第二竪坑櫓たてこうやぐらは、高さ約22メートルで、現存する鋼鉄製の櫓では日本最古。

施設を解説してくださる無料のガイドさんがいらっしゃいます。↑リンクから予約していくのが無難です。

三池炭鉱の最大の課題は排水であったが、当時世界最大のデビーポンプ2台を備え、排水難を解済した。
当時宮原坑は、三池集治監に収監されていた囚人が採炭に従事しており、彼らから「修羅抗」と呼ばれ恐れられた。

出典:現地説明版から作成


 玉名ラーメン 麺の小やま


こってりで名の知れた玉名ラーメン。けれどこの店のラーメンは醤油ラーメンでしたがおいしかった。


 熊本城


復活なった天守閣に登れました。城の周りを囲うように空中見学路が組み上げられており、今ならではの城の醍醐味も味わうことができました。

中国の渡航自粛要請で見かけないかと思いきや、たぶん台湾からの来日者がわんさか。

熊本市の夜の帳の中へ


ホテルのロビーで落ち合うと「今夜は2軒いく店を決めてヲリ〼」と松永くん。氏は颯爽と夜の光の中を進んでいかれます。


1軒目は「焼き鳥 まこと」。ドモドモと松永くん。備長炭で焼かれる焼き鳥は美味。

2軒目も松永くんの馴染みのスナック。
え~、改めて申しますが私はスナックが得意でないんであります。なんでおもしろくもない話題で下卑た笑いを上げる女性を前に飲まなきゃいけない? 訳が分からんであります。


 からし蓮根


一夜明けて朝一番、松永大先生が行かねばなるまいと、再び主導の「村上カラシレンコン店。異議なし。


 桜町バスターミナル


いや驚いた。熊本の桜町バスターミナルが私が知っている姿から大きく変容を遂げてました。写真は屋上に植えこまれた樹々とカウンター。おしゃれの極み。


 熊本大学五高記念館



開催されている企画展「五高教師 ラフカディオ・ハーン」 に行ってきました。『ばけばけ』で話題のね。

日常

1893(明治26)年10月13日付のチェンバレン宛の手紙に、ハーンはある日の「日常生活の概略」について記している。



6:00  起床(妻が起こす)、煙草を吸う、先祖へのお供え
7:00  軽めの朝食(玉子、トースト、ウイスキー入レモネード、コーヒー)、洋服へ着替え
7:30  見送られて出勤、通勤には人力車を利用
(4~5時間仕事)
帰宅、着物に着替え、昼食
15:00  暑い時には昼寝
18:00  入浴
18:30  夕食
20:00  一家団欒(新聞を読む、遊戯、外出)、執筆


ハーンの英語授業

日本語が不自由であったハーンは、日本人の生徒にどのように英語を教えたのだろうか。松江の英語教師・西田千太郎に宛てた手紙(1892年6月27日付)のなかで、ハーンはこう言っている。
授業は松江ほど楽ではありません。私は今学期、一週間に二十七時間の授業があり、全部教科書なしで教えました。そのために授業は一層つらいものになりました。それだけで書くことが非常に多いのです。新しい教科書はまだ届きません。実際届いても、使用しないと存じます。学生はまったく教科書なしで教わる方が好きらしいですから。

ハーンの授業スタイルについては、時の生徒の回想からもうかがえる。
黒板に大体を書きまして、其後で又詳しく自分で話をするといふ訳であつた。ですから筆記する方は楽であつた、それで能く分る言葉ですから殆ど分らないといふことは義理にも言へない訳であつた、それだから皆喜んで居った。

出典:現地説明


 立田自然公園 泰勝寺跡


細川家の菩提寺。ガラシャ夫人の墓「四つ御廟」や、杉木立に囲まれた「苔園」、茶室「仰松軒」などがあり、国指定史跡。宮本武蔵のものと言われている供養塔もあり。

 

2025_12_02

千枚漬


頂いていたカブで千枚漬をつくりました。
うん、上品なおいしさ。スライサーで薄切りにして、下レシピよりも昆布をたっぷりと使うといい感じです。

 

2025_12_01

ジルの冬モード


冬用にジルの毛を伸ばし始めました。
シャンプーして、顔のところを整えて、寒いからふわふわの毛にこれから一層なっていきます。

イヌって人間の2歳児の知能を持ってるってよくいうけど、長年一緒に暮らしていると私が考えていることを分かっているというか、カンというか、心の共振みたいなものが冴えてきてる気がします。

小氷期


 出典:Wikipedia 『雪中の狩人』ピーテル・ブリューゲル

これは冬、16世紀に12月を描いた有名な絵。見るからに寒そうですね。眼下には凍った池でアイススケートなどに興じている人々。現代がいかに温暖化してるか分かります。


 出典:出典:安田喜憲『森のこころと文明』

表を見てもお分かりのとおり、14世紀半ばから16世紀は寒冷期でした。これは小氷期といわれ、世界中で飢饉、そして乱や革命が起きたんです。
1642年のイギリス清教徒革命、1789年のフランス革命なんかがその代表的な例。 日本でも戦国時代から安土桃山時代そして江戸時代と変動してますね。

江戸時代の身長が最も低い

そんな気候もあって、日本人は江戸時代の身長が最も低いんです。平均身長は男性で155cm~156cm、女性で143~145cm。

厳しい冬の寒さを乗り切るため、当時の日本人はどんなライフスタイルだったかについてはこちらを↓

 

 

 

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